第173号   愛命園だより「あゆみ」   平成28年10月


障害者相談支援事業所愛命園について
相談支援専門員 沖田 幸久

 愛命園は障害者の支援施設ですが、施設の業務以外に障害者相談支援事業所の機能も併せ持っています。私はそこで相談支援専門員という立場で仕事をしています。相談支援専門員とは「身体上、もしくは精神上の障害があるなどの理由により日常生活を営むのに支障がある人に対し、日常生活や自立に関する相談に応じ、助言、指導、支援を行う専門家」のことです。分かったようで分からない感じですよね。例えは、お年寄りで介護を必要とする方は「ケアマネジャー」に相談します。細かい違いはありますが、障害者を対象とした相談相手が相談支援専門員です。「障害者版ケアマネジャー」と思っていただければ理解が早いかと思います。
 さて、障害のある方が相談支援専門員に相談すると、いったいどんなメリットがあるのでしょうか?例えば、視覚に障害のある方がヘルパーを使って外出したい時には移動支援や同行援護のサービスを使います。その際どこにどのようなサービス事業所があり、どんな特徴があるのかを自分で探したり調べるのはとても大変です。相談支援専門員は、そうした事業所(社会資源といいます)に関する知識がありますので、相談者の要望にあった事業所を紹介することができます。相談支援専門員は、事業所の利用など、サービスの利用計画案を作成して市町に提出、利用許可(支給決定といいます)を得たら利用開始となります。サービスの利用状況については定期的に検証を行い、必要に応じて利用計画の見直し(モニタリングといいます)やサービス事業所等との連絡調整を行います。これら自分で行えば大変な連絡調整を、相談支援専門員は無料で代行してくれるのです。
 愛命園は経営主体が社会福祉法人視覚障害者団体連合会なので、視覚障害者の支援に長けている相談支援事業所です。施設利用者、つまり愛命園の利用者約60名の計画作成と、愛命園を利用していない在宅の障害者約50名の計画作成をしています。愛命園の利用者はほぼ全員が盲重複障害者です。一方、在宅の障害者は8割が視覚障害者で1割が精神障害者、1割が知的障害や肢体不自由の方です。相談員は兼務を含めて2名体制で、1名が主に利用者の計画作成を、もう1名が在宅の方の計画作成を行うと業務を分担しています。
 私は主に在宅の方を担当していますが、いくつかの課題も感じています。まず報酬の少なさ。現状では人件費の半分も賄えません。施設会計からの持ち出しが多く、会社で例えれば完全な赤字部門。肩身が狭いですが施設長からは社会貢献だと励まされています。これは多くの相談支援事業所が抱えている共通の課題です。次に在宅の対象者の地域が広く(広島市全8区、北広島町、安芸太田町、廿日市市)園からの移動に多くの時間を要します。10分程度の面談に往復2時間程度の移動時間が必要な場合もあります。そして対象者の生活にどこまで関わるべきかどこまで支援をすればよいか等、業務範囲への戸惑いも持っています。また、精神障害者への対応は、数的には全体の1割しかないのですが相談員の心的負担の多くを占めています。尽きることのない悩みの相談が多く、聞き続けていると自分もどんどんマイナス思考となります。相談員自身のメンタルヘルス管理はどうすればいいのでしょうか。
 このように課題も感じますが、対象者と一緒に状態改善に向けた計画作りをすることはとても楽しいことです。そして相談者の悩みや問題が解決した時には大きな喜びも感じます。相談支援専門員は障害のある方が地域で暮らす要となる存在です。今後も地域に貢献できるよう頑張ります!



追悼の記
園長 林 弘子
 平成28年9月13日早朝、広島総合病院で一人の愛命園職員がその生涯を終えました。森本文江さん、享年60才。まだ愛命園が古い園舎だった昭和58年6月6日から、看護師業務一筋の33年間でした。
 優しくて、いつも広島弁の森本さんは、入所者に大変人気があり、当時の保護者会の役員さんたちからも「森本の看護婦さん」と信頼を寄せられていました。
 平成16年1月2日、突然の病で入院、2回の心臓手術、10人中2〜3人しか助からないところを奇跡的に回復され、職場復帰を果たされました。あの有名な石原裕次郎さんと同じ病気だったと聞きました。
 その後、月一度の定期通院を欠かさず、12年間は無事に過ぎました。しかし最近、体の限界を感じられたらしく、9月6日の定期通院の翌日辞職願を出されました。年休が残っているので、退職日は9月末日となりました。
 その時点では、次の通院日は9月13日と聞いていたので、よもや13日に死去の報に接することになろうとは想像だにしませんでした。
 通夜・葬儀は、広島市西風館でとりおこなわれました。利用者を代表して葬儀に参加したSさんは、あいたひつぎの窓から手を入れ、森本さんの顔をしばらくなでていました。視覚に頼れないSさんは、そうやって森本さんの死を実感し、悲しみをこらえていたのでしょう。
 葬儀の翌日のことです。そのSさんが園長室にやってきました。
「自分は部屋の仏壇の脇にお母さんの写真を置いて、毎朝拝んでいる。これからは、森本さんも一緒に拝みたいのでこんな写真がほしい」と母親の写真を見せました。
 私は、周囲に良い写真がないかと尋ね、集合写真の一部を切り抜くとちょうどよい写真になる物を医務で出してもらい、庶務で切り抜いて台紙に貼り、お母さんの写真と同じサイズにしてもらって渡しました。Sさんは、きっと毎朝、お二人の写真を脇に置いた仏壇に手を合わせていることでしょう。
 明日ありと思う心の仇桜
    夜半に嵐の吹かぬものかは
 親鸞聖人のおうたですが、このたびほど明日がどうなるかわからない世の無常を感じたことはありません。
「文江さん、最後の頃はきっと体がえらくてえらくてたまらなかったのではないですか?それでも愛命園が好きで好きで、利用者が気になって気になって、愛命園に足が向いたのですよね。
 本当に33年3か月、ありがとうございました。もうゆっくり休んで下さい。」


還らぬ人となった森本文江さん
看護師 椋田 千春
 訃報を知らされた人達が皆「えー、嘘でしょう…なんで…」と「つい先日会ったよ。話したよ」
「確か鋏を買ってもらった時が8月盆過ぎてから。そんな具合が悪いなんて素振りは少しも見られんかった…嘘でしょう…かわいそうに」と絶句されていました。
 亡くなる前の9月1日木曜日は、森本さんが遅出勤務、私が早出勤務で、私との2人勤務になった夕方でしたね。
「ちょっとそこの静養室のベッドで横になってもええ」
「うんうん。いいよ。電気も消してあげるから、調子が戻るまでゆっくり休んどって。気にせんでいいよ。」暫くすると、「ちょっとー。聴診器持ってきちー。うちの心臓の音を聴いてみんさい。こがぁな音はこれから先も聴く事はなかろうけぇ、勉強の為に聴かしたげるけぇ」と声をかけてきましたね。その音を聴いた私は「森本さんよう生きとるねぇ、メチャクチャじゃない。死ぬんじゃないん、こわいよぉ」とやりとりしたのです。
そしたら「しゃあないよぉ、そのうちに起きれるけぇ」と笑顔を作って目をつむりました。
 確かに、そのうちにベッドから起きてきて、何事もなかったように又仕事に戻ったね。でも、この時から違ったんだよね。何より今までと違った事は検脈をさせてくれる事もなかった。それなのに、森本さんが心臓の音を聴かせてくれた事。頑張れる間は皆に心配をかけずに頑張るという信念を感じていた私は、その時から不安を感じ始めました。心配でたまらなかった。
 9月5日の遅出勤務まで頑張ったのよね。又体調は戻ると信じながら…
 9月6日以降は元気をとり戻すために年休を申請して、9月7日に医務室に挨拶に寄ってくれた時「携帯にメッセージ入れてもいいの?連絡やりとりしてくれる?」と尋ねたら、元気に「うんうん。ええよねー。してえやー」と言ってくれた。「元気じゃー。よかった!」その時は、13日にこの世の人でなくなるなんて思えなかったよ。だけど、いつも私の隣の机に座っていた森本さんが出勤してこなくなると、気になって不安が大きくなり始めました。
 体調が悪ければ、読んでもらえるだけでもいい…との思いから。
9月11日日曜日 10:50
 文江さん、何して過ごしていますか?
 今日は秋晴れ。カープ優勝しました。感動です。
 私は今家事で忙しく動いています。
9月11日日曜日 21:04
 文江さん。おやすみなさい。
9月12日月曜日  9:05
 おはよー。
9月12日月曜日 14:11
 入院されたと園長からききました。
 何もしてあげられなくて…ごめんなさいね。
9月13日火曜日  6:20
 娘の○○○です。今朝母が永眠いたしました…。との連絡が。
9月14日水曜日  9:30
 文江さん。出会えて本当に良かった。出会ってからの18年近くの思い出と、沢山の語らずともおしえてもらった事は私の宝物。私たち似ていないのにいろんな人によく間違えられたね。文江さんが私のお手本だったからよ。これから先も忘れません。
 ありがとうございました。森本文江さん。



健康のありがたさ
愛命園家族会 池田 はやみ
 先月、愛命園の看護師の森本文江さんが亡くなられました。いつ会っても笑顔で優しい声で話しかけてくれました。そんな笑顔が忘れられず、いまだに信じられない気持ちです。心よりお悔やみ申しあげます。
 健康ってあたり前で、自分は病気にはならないと思っていても、年を取ってくると、どことなく不具合があり、若い時の様にはいきません。この年になると、ありがたいことに特定健診というものがあり、安い金額で検査してもらえます。悪い所があれば、再検査や健康指導があり、早期発見等で気付かない病気を見つけてくれます。
 今年も知人が5人亡くなり、淋しいです。
 健康はあたり前のようですが、自分のことは自分が一番分かっていると思います。変だなと思ったらすぐにお医者様に診てもらうことだと思います。今、主人も病院通いですが、今までの様には動けません。どこに行くのでも元気だったら行けるのに、とか行きたいけど無理かもとか言っています。今さらながら健康のありがたさが身に染みているようです。
 これから寒さに向かって行きますが、健康管理を怠らないよう、過ごしていこうと思います。



夏祭り
生活支援員 石田まゆみ
恒例の夏祭りを8月6日土曜日に行いました。毎年帰省日前日に行っていましたが、今年の帰省日が11日木曜日(山の日)、前日となると平日と言う事もあり、前の週の土曜日に行いました。今年の夏祭りには利用者と考えた「暑さにまけるなみんなで踊ろう夏祭り」のスローガンや当日には職員全員赤色の洋服や小物を身に付け盛り上げてもらいました。アトラクションの神楽では、最後に記念撮影をしたところ、盛況で一緒に撮ってと笑顔で撮影をされたり、屋台の焼きとうもろこしが美味しかったよ、たこ焼きも美味しかった、暑い時のそうめんは美味いの〜と嬉しそうに話され、いつもと違う表情も見れました。おかげで、そうめんは一番に売り切れました。
盆踊りでは、いつも車椅子で過ごされている利用者も音楽にのって、手を動かされ笑顔で踊られている姿や車椅子から降り踊られている姿にも驚きました。御蔭で大変盛り上がった夏祭りとなりました。



第1支援活動報告
生活支援員 神村 恒彦
 今年から園の係活動の畑を担当する事となりました。興味はありましたが今まで野菜を作り育て収穫するという経験はなかったので上手くいくのかという不安とやるぞという気概が半ばでした。 何を作るか利用者の方のリクエストに応え喜んでもらうためスイカ、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモを選びました。九月初頭のススキ配布のためにと百日草の種を播きハーブティーを飲んでもらおうとハーブも植えてみました。
 素人ですので本やPCで調べたり、都度先輩方にアドバイスを頂いたりで土作りから取り掛かり元肥、畝作りをして種まきや苗、種イモを植え付け順調に育っていき期待したのですが収穫直前にサルの被害にあいトウモロコシは全滅、スイカは大きくなって熟れごろを食べられたりサツマイモの苗は引き抜かれたりして散々でした。その中で奇跡的?に残った何個かのスイカを限られた人数ではありましたが食べてもらえることができ、いくらか気持ちが和らぐことが出来ました。
八月の猛暑、九月の長雨という天候でしたが植え付け、草取り、収穫と参加利用者の方々有難うございました。百日草も色とりどりの沢山の花が咲き本当に綺麗でした。試行錯誤の連続で天候や勤務のこともありなかなか思い通りには行きませんが利用者の方全員に喜んで食べてもらえるよう活動参加利用者の方と共に力を合わせ頑張っていきます。ごく一部の野菜作りですが成長を見ていると力強い生命力を感じる日々です。



第2支援活動報告
もみの木森林公園 バーベキュー
生活支援員 上 正輝
 昨年利用者に好評であった、もみのき森林公園の外出を8月25日に実施しました。
当日雨の心配もなく気温も涼しく過ごしやすい気候でした。到着後は数人の利用者は散歩を楽しまれました。焼きあがったお肉、野菜を皆さん美味しそうに食べていました。お腹一杯になられていましたがデザートのアイスなども食べて満足されたようで、いつもより多く食べていました。いつもとは違う笑顔を多く見せてくれました。
 今回初めて参加できた利用者もいて、とても良い気分転換になったのではないかと思います。

 当日参加出来なかった利用者には、9月29日デイルームにて、季節のジュレ、もみじ饅頭プリンと飲物を提供しました。デイルームに嬉しそうに来てくれ、ジュレ、プリンをおいしそうに食べておられました。とても良い笑顔です。


「殿山礼子さん、ありがとう」
生活支援員 熹ゥ 瑞枝
 6月中旬ごろより高熱が続き、食事も摂れない日が多く、呼吸もしんどそうにしていたので6月25日入院となりました。必ず愛命園に帰って来る!と信じていましたが、容態が急変し、8月7日午前10時20分に亡くなられました。享年61歳でした。
 礼子さんは、昭和54年に愛命園に入所され平成28年まで37年間、この愛命園で過ごされました。初めて礼子さんに会った時は、元気に1人で廊下を歩いていました。すれ違う職員に、「礼ちゃん。」「殿ちゃん。」と声かけてもらうと、「へへ〜」と笑顔で返事をしてくれました。時にはしかめっ面で、「こりゃ、すな!」と怒り、手をパチンと叩かれました。
 生活班では、音楽に合わせて手拍子したり、体操したりと活動にも積極的に参加をしていました。中でもジャンプをする時がうまいのです。上手に踵だけ上げてリズム良くジャンプをしていました。
 礼ちゃんのそんな姿を見て、すごく癒され、元気づけられました。
 徐々に体力も低下し車椅子で移動する事が増えていき、ベッドでの生活も多くなっていきました。でも、「礼ちゃん」と声をかけると笑顔になり、手を握るとギューと握り返してくれました。ホールに行くと、みんなが声をかけてくれて、嬉しそうな表情が今でも印象に残っています。
 みんなに愛されていた礼ちゃん。みんなに愛をくれた礼ちゃん。
 礼ちゃん、ありがとう!そして、お疲れ様でした。安らかに眠って下さい。



〜木漏れ日〜
リレー随想
頑張っていること
生活支援員 槇原 未歩
 私は、数か月前から頑張っていることがあります。それは「毎朝のウォーキング」です。始めようと思ったきっかけは…痩せるため!!(笑) 専門学校を卒業し、なかなか体を動かす機会がなかったため、何かしないとなーと考えた結果、ウォーキングをしようと決めました。せっかくやるのなら楽しくウォーキングしたいと思い、大好きなピンクのシューズを買いました。
 引っ越してきたばかりで、そして知らない場所なので、最初はウォーキングすることにも戸惑いがありました。しかし、続けていくうちにすれ違う人と挨拶をするようになり、少しでも関わりが増えることによってその不安もなくなっていきました。また、変わっていく周りの景色も眺めながら楽しんでいます。といっても景色より、蛍光ピンクの派手なシューズのほうが目に入ってしまいますが(笑) 
 大好きなピンクのシューズで、今日も頑張るぞ!!!

【寄せられた善意】
[平成28年7月25日〜平成28年10月24日]
(順不同・敬称略)
《現  金》
原田 秀夫  森井旅館
大原 佳子  繁光 富子
大成 敏正  新田 嘉弘
後藤 幸生  橘焉@則行
前川 昭夫  新庄 務
森本 光英  清水 都美子
藤井 貢   伊藤 真紀子
丸田 和子  藤正 坂二
殿山 久江  前田 秀昭
林 弘子   谷川 隆子
森本 辰登  西 耕三
青原 清美

《現  物》
洗濯洗剤       善福寺
スポーツドリンク   沖 和彦
スイカ        亀井 里之
くるみ小女子     原田 秀夫
洗濯洗剤、サラダ油  谷川 隆子
ねぎ         野上 好子
梨          則末 伸夫
花          新庄 竹子
50号絵画       西村 範子
果物         向井理容院
新米         前田 秀昭
野菜ジュース     古林 多美恵

《朗読奉仕》
どんぐり会

《読み聞かせボランティア》
新庄 久美子     西山 洋子
 西山さんによる読み聞かせは10月20日で終了となりました。5年間ありがとうございました。

《将棋ボランティア》
上野 俊雄

※ いつも暖かいご支援ありがとうございます。諸般の事情で掲載を控えさせていただく場合もあります。

人の動き
《退  所》
10月6日付  松尾 光雄さん

《就  職》
9月1日付   生活支援員 三枡 満


『園まつり』開催のお知らせ
今年も恒例の『園まつり』を開催いたします。
『来てみんさい 元気で楽しい園まつり』
日時 平成28年11月23日(水)勤労感謝の日
    10時〜14時半(雨天決行)
催し物 バザー・模擬店(うどん・ちらし寿司等)
アトラクション 和太鼓・楽器演奏等
上記の予定で行いますので、お誘いあわせの上ご参加下さい。多数のご来園をお待ちしております。

編集後記
 今年は台風の影響でススキ行事が中止になりました。秋の便りをお運びできず残念です。 (HY)