第123号   愛命園だより「あゆみ」   平成16年4月

新年度を迎えて

社会福祉法人
広島県視覚障害者福祉協会
会長 前川 昭夫

花の命は短くて、美しく咲き誇った桜も、いつしかそのおもかげが脳裏に浮かぶだけ、一抹の寂しさを実感しています。愛命園では、平成6年度から園長を務めていただいた山本八重先生が、このたび退職され、新園長に元広島県立盲学校教頭の竹原 幹先生をお迎えし、新年度がスタートしました。
山本先生は昭和62年に看護婦として就任され、前園長の山本貞夫先生の死去に伴い、貞夫先生の遺志を引き継ぎ園長に就任されました。園長在職中の山本先生の功績は今更語る必要もないかとは思いますが、特に平成12年に取り組んだ、施設の全面改築にあたっては、寝食もおろそかになるほどの情熱を注ぎ、見事に成し遂げられました。この事は愛命園関係者にとって大きな喜びであり、今後の財産として大切にし、施設のよりいっそうの充実に向け努力する事が、われわれの使命であると考えています。



山本先生には、長年にわたりご尽力いただきありがとうございました。今後は健康に十分留意され、健やかにお過ごしいただきたいと思います。
さて、竹原園長には、これまでも法人理事として、愛命園育成会副会長としてご活躍いただきました。これからは施設運営の長として手腕を発揮していただくわけですが、利用者の高齢化や重度化、多様化もさることながら、支援費の行き先も不透明な現状ではあり、職員の皆さんのご協力をいただき、利用者の皆さんが毎日を楽しく生きがいの持てる施設運営に努めていただきたいと思います。
私は、36年勤務させていただいた福山市民病院を3月31日で退職いたしました。これまで法人と病院の兼業で、関係の皆様に大変ご迷惑をおかけしたことと思いますが、今後は、愛命園、点字図書館を中心に視覚障害者福祉の進展に障害当事者として、微力ではありますが粘り強く努力してまいりたいと考えていますので、皆様のご指導とご支援を心からお願い申し上げます。
さて、私どもの法人もさまざまな課題を抱えていますが、とりわけ支援費制度の財源不足や、介護保険との統合論議が浮上するなど、施設福祉にとって厳しい状況にあります。愛命園が将来とも安定処遇を守るには、何としても入所定員の半数を、療護に転用いただき、入所者や家族の皆さんに、安心していただける施設として、今後とも努力したいと考えています。
点字図書館においては、誰もが経営に参入できる、指定管理者制度が導入されています。視覚障害者情報提供施設である点字図書館には、点字本の作成を始め、音訳図書(CD)や、視覚障害者専用ソフトによるIT講習、また、多くの点訳、音訳ボランティアの養成、また県民だより点字、録音版など特殊な業務を行っています。こうした状況に鑑み視覚障害者の情報環境が低下しない指定条件を示していただき、管理者の指定を行っていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
法人本部も、法人全体を統括する責務を果たすべく、会費の倍増や盲人用具の販売、収益事業の発掘、それから県内の視覚障害者活動の支援を行っていますが、今後組織強化がいっそう進むことを期待しています。
法人の1種2種事業に関する私の思いを述べさせていただきましたが、私たちも自助努力を忘れずがんばる所存でございますので、関係機関、関係者のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。



就任挨拶

園長 竹原 幹

この4月から愛命園の4代目の園長を仰せつかることになりました竹原幹でございます。
 これまで、園長をお務めになった山本八重先生は、昭和61年から看護婦としてお勤めになり、平成6年からは園長として10年間お勤めになりました。その間、先生は園生のお母さんのように深い愛情と優しさで接しられ、家庭の暖かさを少しでも味わえるようにと努力されました。さらに平成12年には施設の全面改築という大事業を成し遂げられ、日本一素晴らしい施設を作られました。さらに入所者が安心して元気に楽しく生活できることを最優先した施設作りを職員の方々と実践してこられました。本当に名実ともに日本一の施設であり日本一の処遇、日本一の職員だと確信しております。
 このような数々の素晴らしいご功績を残された山本園長の後を引き継ぐことになり、身の引き締まる思いでございます。




 昨年度、それまでの措置費制度に代わる支援費制度が導入され、愛命園も重度身体障害者更生援護施設から身体障害者更生施設に変わりました。支援費は措置費に比べて単価が低く、支援費制度そのものが介護保険制度と統合されることが予想されるなど、経営的には不安定な要素を残しております。
 一方、入所者は平均年齢が50歳を越え、機能的な高齢化が進むと同時に生活習慣病も目立って増えて来ております。このような入所者の状況から、今後ますます濃密で質の高い支援が必要となって来ております。そのため、現在、身体障害者療護施設への措置替えを広島県にお願いしている所であります。これまで培われて来た愛命園の園風を壊すことなく、さらに発展させて行かなければならないと気持ちを引き締めている所でございます。
 また、愛命園は地域の方々や育成会など多くの方々に支えられてこのような立派な施設になったものと確信しております。今後ともこれまで以上のご支援・ご協力をいただきますことをお願いいたしまして、就任にあたっての挨拶とさせていただきます。



私の宝物

前園長 山本 八重

 自然は、一日一日と何事もないように少しずつ変化しながら美しい現象を見せてくれます。
 人間の生活でも、それと同じような現象が起こります。特に4月は、出会い、お別れ、就職、退職等、様々な人間模様が繰り広げられています。
 当愛命園でも同じようなことが起こりました。職員2名が退職し、新しい職員3名が入りました。退職者の中に私も入っています。振り返ると、16年間もの長い間、ここにお世話になったことになります。その間、無事に送日できた事をとても嬉しく感謝しています。
 いろいろな思い出の中でも一番嬉しいと思う事は、なんといっても園の改築です。この苦しさ、楽しさは一生忘れることはないでしょう。また、悲しいと思う事は、5名の利用者の方がなくなったことです。その他にもたくさんの思い出がありますので、これから暖めていきたいと思っております。
 この3月に利用者の方々を写真に撮らせていただきました。私の宝物は、入所者一人一人の笑顔です。これを大切にして、私自身、健康な間はせっせと愛命園に通って皆様とお会いしたいと思っています。これからも健康に気をつけ、一日一日を一生懸命生きていこうと思っております。
 私の信条である、「元気で、仲良く、楽しく」を、新しい園長先生が必ず継承してくださるものと信じております。
どうもありがとうございました。



よろしく
 お願いしまーす

 介護員 藤井 さつき

この度、愛命園に介護員として就職しました藤井さつきです。
 広島福祉専門学校を卒業し、社会人になったばかりです。愛命園には学生の時に2回、運動会のボランティアとして訪れました。ボランティアに参加した際に、少しの時間ですが皆さんと時間を共有し、充実した一日を楽しむ事が出来、とても嬉しく、愛命園が好きになりました。一人一人関わる事は出来ませんでしたが、人との出会いを大切にしたいと強く思うようになりました。
 ボランティアには参加しましたが、日常生活を拝見したことがない為、就職するにあたり業務内容、利用者に対してどう接し、声掛けしていけば良いのか等、分からない事ばかりで不安ですが、諸先輩方の指導、接し方を見て学び勉強し、自分のものとしていきたいと思います。皆さんとの関わりを通し、自分自身成長していきたいと思います。まだまだ不慣れで仕事が遅れたり、思うようにお話出来ない事もあるとは思いますが、利用者に対する処遇、指導がよりいいものになるように精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。
介護員 小野 睦

4月から、愛命園で介護員として働くことになりました小野睦です。3月に広島福祉専門学校介護福祉科を卒業しました。
 愛命園では2年の時、3週間実習をさせて頂きました。実習とは異なりこれからは社会人として現場で行動していかなければならない事や一つ一つの業務に責任を持たなければならないことなど、不安なことばかりですが、これから愛命園の利用者一人一人のことを十分理解し接していきたいと思います。まだまだ慣れない部分や至らない部分があると思いますが、自分なりに精一杯がんばっていこうと思っているのでよろしくおねがいします。




保育 保育
    年長組

家族会会長 藤正 坂二

 さる4月18日、竹原新園長のもと、16年度へ向けての家族会役員会をもちました。少おし緊張しながらもこれまでの積み重ねの上に立って意見を出し合いました。
 思えば、旧保護者会から「わだちの会」(約10年)〜10月10日の月満ちて〜 現家族会誕生(平成11年夏) 愛命園は31歳、われら家族会はあしかけ6歳(年長組)。この間、山本前園長先生には顧問として大変な時期を10年間、ご指導とお世話をいただき、本当にありがとうございました。これからは、少し楽をしてください。と申しながらも、今度は大きく、〜園〜の顧問をお引き受けいただくとか、ありがたい限りです。ご健康ご多幸、心からご祈念申し上げます。
 さて皆さん、目まぐるしく動く世界情勢、その中の日本、日本の中の福祉行政、目が離せません。愛命園にも定員の半数を療護施設としていただくように、家族会としても、関係方面に強くお願いしていかなければなりません。心をあわせ、一致団結のもと、ご支援ご協力のほど、よろしくお願いを申し上げます。素晴らしい看護棟(仮称)、実習生宿舎も完成が近づいていますよ。
「私たち 家族会 来年は1年生」



自己責任と
保護責任

生活支援員 石川 晃

最近テレビ・新聞を賑やかした「イラクの日本人人質事件」。 特別に関心を持ったと言う訳ではないが、連日の報道が嫌でも耳に入ってくる。主な論点は自己責任と保護責任だろうか。言うまでも無く、どのような目的であろうと人質をとるという手段でそれを訴えるのは許されることではない。
しかし、ここで問題になっているのは「退避勧告を無視してイラクに行ったのだから自業自得である」という意見と「政府が自衛隊を派遣したのがそもそもの発端であるのだから責任はあくまで政府にある、人道上自衛隊は撤退せよ」という意見である。私の意見はさほどの意味もないので差し控えるが、3人は誰が見ても危険な地に自ら望んで行ったのだから、それなりの覚悟はあったのだろう。しかしいざ危険を負えば、本人のみならず、家族や支援団体からも「人命は地球よりも重い、国家の方針を転換しても救出すべきだ」との声が上がってくる。
 もとより国には邦人の安全を図るべき保護責任がある。いかに当人が希望し「ほっといてくれ、自己責任でやっていく」と言っていても、いざその当人が何らかの問題に遭えば、保護する側の責任が回避されるものではない。これが今回の事件で見事に証明された。
 結局の所、いくら自己責任といったところで完全に自分だけの問題になることはなく、保護責任といったものが消えるわけでもない。ならば自己責任を主張する者を被害に遭わせないようにすればいいかというと、問題はそこまで単純ではない。今回の件で言えば、例えば事件以前に政府がイラクへの入国を完全禁止したならば非難轟々であったであろう。そして非難するであろう人々の中には今回、政府の保護責任を問うている人も含まれているのではないだろうか。



 私たちの仕事の中にも似たようなものがある。例えば「一人で住みたい」「外出したい」「買い物も自由にしたい」等の希望があったとする。「大丈夫だよ、自分で責任取るから・・」と言われれば、よほどのことでない限り希望に向けて尽力する。その様な流れでもある。現に地域の中にはその様な生活をしている人もいるだろう。自己責任で行動するということは自立という観点からは必要なことであり、自立するということは自己責任で行動するということに他ならない。自己責任で行動するのを止めるということは、自立しようとするのを止めようとするということである。しかしもちろん限界はあるだろう。自己責任と言っても私たちの責任を逃れられるものではない。客観的に見てリスクが大き過ぎると判断すれば制止する場合もある。ならば、一体そのボーダーラインはどこなのか。利用者が自己責任で行動できる範囲とはどこまでなのか。連休帰省も近づき保護者との電話の中からも色々な思いが浮かび、とりとめもなく自分の仕事と重ね合わせて、そんなことを考えてしまった。



 栄養士から

栄養士 宮本 妙子

 支援費制度となり、入所者に満足してもらうにはどうあるべきか、次の6項に気をつけようと思っています。
1. むら
2. 無理
3. 無駄
4. 無智
5. 無視
6. 無情
 給食係6人、それぞれ個性の異なる者の集まりですが、思いやりの精神で補い合いながら一丸となれば、満足してもらえると信じています。
 朝・昼・夕、365日休みなしの職場となればその場限りではなく、健康で、心穏やかでなければ勤まりません。平均年齢5?才、甘いも酸いも多少経験し、生活習慣病の恐さも知っている年齢となりました。 心身のバランスをとりながら、おいしくてバランスのよい食事を提供しなくては、と思っております。今年より、玄関ホールに手書きの献立表を掲示することとなりました。多少でも見える人には楽しみにしてもらっています。「花見弁当はどんなん?」「桜餅はある?」「ホットケーキはいつでるの?」「魚より肉のほうがええよ」等など、2人、3人、5人と会話が進むようになりました。



生きるために
一生懸命

看護師 森本 文江

 医務室からのコラムって何を書けばいい? 相談してみても何もいい考えが浮かびません。そこで、ありふれていますが、医務室の役目について調べてみました。辞書によりますと、医務とは、「医療に関する事務」とありました。「保健」を調べると、「健康を保持すること」とありました。したがいましてここは、病院ではないので「利用者の健康保持」これをどのようにしていけばよいのかが問題になります。
 健康の保持、一口に言うと簡単ですが、人それぞれ違う状態をどう捉えて、その人にふさわしい支援ができるか、悩みはいっぱいです。
 ここでは、毎日毎日40人近い人々が薬を飲んでいます。それに、重い病の方もおられる等、薬の種類も様々で、それはそれは複雑な仕事をしています。中には「痛い」と訴えることのできない方もあり、職員の観察だけが頼りの方もおられる等、四苦八苦の毎日です。
 そんな中でも、お話のできる人は、「やさしさ」を求めて医務室をたずねてこられます。「薬をつけて…」など等、いつも満員です。これも、心の安定を図るためのものと考えています。「自分だけ大切にされているんだ」という自己満足の現われでしょうか。そのほかにも、加齢により体が動かなくなっていく人、重病ながらも一生懸命がんばっている人など等、医務室は毎日毎日、一生懸命生きる努力をしています。



【寄せられた善意】
[平成15年1月26日〜平成16年4月27日]
(順不同・敬称略)

【現金】
青原 清美
森  洋子
前川 昭夫
竹原 幹
石本 憲正
波多野八千代
東広島市視覚障害者福祉協会
愛命園育成会
福島 サヨ子
愛命園家族会

【現物】
カキ     宮本海産
チョコレート 湯来朗読奉仕会
ねぎ     松田恵美子
大根、水菜他 杉田 弘
たけのこ   伊藤博典

【朗読ボランティア】
どんぐり会
湯来朗読ボランティア



【交流会】
◎ 1月14日
 東小学校5年生が出張コンサートを開いてくださいました。
 ありがとうございました。

◎ 1月22日
 東小学校11、2年生の交流会で、歌を披露していただきました。
入所者と一緒に楽しい一時を過ごしました。

◎ 2月4日
 湯来中学校2年生による朗読等がありました。みんな真剣な表情で、一生懸命、お話をしてくださいました。

◎ 2月17日
 津浪小学校5、6年生のみなさんが、よさこいソーラン踊りの披露してくださいました。活発な動きに、元気さをいただきました。

※ 児童・生徒の皆さん、ありがとうございました。



人の動き

<入所>
佐胡 節子
 4月1に入所されました。庄原もみじ園から、こちらにこられました。

<退所>
下前 唱子
 3月1日付で退所されました。太田川学園に転所されました。


<就職>
4月1日付

園 長 竹原 幹

介護員 小野 睦

介護員 藤井 さつき

<退職>
3月31日付
介護員 福島 サヨ子
 昭和51年8月から27年間寮母として介護員として入所者の皆さんに関わってこられました。本当に長い間ありがとうございました。



【編集後記】
 今年は桜の見ごろが長いと思っていましたが、あっという間に新緑の季節になりました。今年度、愛命園にも新しい園長・介護員2名を迎え、入所者はもちろん、職員も少し緊張し、たくさん期待もしています。
 今年度も、利用者の皆さんに、楽しく、安心して過ごせる環境を整えていけるといいなあ…。 (U)