第120号   愛命園だより「あゆみ」   平成15年7月



開園30周年に想う

園長 山本 八重

 開園30年、一言で云ってしまえばそれまでですが、それはそれは長い年月だと思います。
 当園が正式に開園したのは、昭和48年6月1日で、定員は30名、昭和51年には定員50名、平成13年には全面改築を機に定員60名、ショートステイ4名と順調に成長いたしました。そして、その間、いろいろな改革が行われ、平成15年4月からは、措置費制度が支援費制度へと変わり、福祉制度の抜本的改革が行われました。改革の波に押しつぶされそうになりながらも何とか息をつなぐ事が出来ましたのは、人(職員)のたゆまない努力と、支援してくださる皆様のおかげであると深く感謝しております。
 開園30年を振り返ってみますと、やさしく見える年月も、大変な大波を越えて、今日があることを忘れてはならないと思いますし、開園にこぎつける以前の努力期間も10何年という歳月のあった事を忘れてはならないと思います。
 今回はこのような施設を、誰が何のために作ろうとされ、どうして出来たのかを、昔の記憶をたどって考えてみたいと思います。決して一般の施設のように資金があってできた…ということではない…ことを、まず私たちは、理解しなければなりません。



 戦後、まもなくの事です。アメリカのヘレン・ケラー(盲・ろう・唖の方)が来日されました。戦後の復興の最中、まず、視覚障害者の教育に目が向けられたのはヘレン・ケラーのおかげでしょう。その当時、日本の視覚障害者のリーダーの方々の強い働きかけで、視覚障害者の福祉とその教育が最初に考えられたと思います。そして、昭和23年には、障害者教育の中でも、視覚障害者の教育がトップで義務制となりました(それまで、視覚に障害のある人は教育を受ける義務はなかったのです。したがって、マッサージ等、師弟制度で師匠から技術を習っていました。盲学校はありましたが、費用がかかるため、一部の人しか行くことができませんでした)



 盲教育が義務制になりますと今まで、就学猶予になっていた児童が、やむを得ず、盲学校に入らなくてはなりませんでした。それも厭々ながらの就学でした。文部省はその当時、大変な費用がかかったのでは? と、いまさらのように感じています。当時、盲学校では、あの手この手で、未就学児童のいる家庭を訪問して就学を勧めました。私もその一人として、家庭訪問をしたことがあります。そこで聞かされたことばは、「あんたあ、なんでうちにめくらがおることを知ったんか。うちの子は学校にいかさんでも、食べさせんようなことはせんから、帰れ! 学校に入れるつもりはまったくない」と、けんもほろろの言葉が返ってきました。それでも職員は一生懸命でした。交通機関も、現在とは違う時代、毎日が「一生懸命」でした。今過ぎた日々を、本当に懐かしく感じております。
 そんなことをしながらも、盲学校の児童は少しずつ増加していきました。学校は義務教育ですから、入学すれば必ず卒業できるのです。そこで困ったのは、卒業生を送り出すために進路指導をしている先生でした。
 学校は出たけれど、進学はできない、就職もできない、家庭にも帰れない、こんな方がたくさん出来ました(それは、視覚障害+知的障害があるため、職業人になれなかったのです)
 そこで、就職できない人に、マッサージ技術を教えたり、生活指導をしたり、保護者といろいろなことを相談していた頃が、昭和30年代です。そこで考えたのは、「どんな小さな家でもいいから、一つ屋根の下で、この人たちと一緒に生活できる場所を作りたい」これが、愛命園を作るきっかけとなりました。
 最初、東広島市西条町と呉市広町との中間位の所を探しました。土地の折り合いが今ひとつと、水のことも問題となりやむなくやめになりました。その後次々と探しましたが、どうもうまくいきませんでした。こんな悩みのなか、目が見えない者同志、団結して、盲人会で作ろうと言うことになりました。まず、資金作りからと言うことで映画をしたり、鉛筆を売ったり、それはそれは苦労の連続でした。土地についても、色々探しても、どこでも断られました(その当時は障害者は世間の人から変な見方をされていたように思います)。ようやくの事で湯来町の温かいご理解を得て、今の場所に決まったのです。その時の嬉しさ、又、施設の出来た時の嬉しさは、表現のしようもありませんでした。どんなに重度の障害があっても、人間として認められ命を守るためのお家が出来た。命を守り、皆で仲良く暮す場所だから「愛命園」と命名されたのです。ここに改めて先人のご苦労に対して感謝したいと思います。その当時の事を思い浮かべると胸が一杯になります。



いま私たちには、日々変化していく入所者にどのように対応していけるのかが課題になっています。高齢化と重度化、老齢になっても行き場のない人々とともに「共に生きる」とは何かを真剣に考え、実行しなくてはならないと強く感じているこの頃です。どうかご支援ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。



利用者負担金
自動引落し
始まる

事務長 林 弘子

支援費制度がいよいよ発足しました。
今までの措置費制度のもとでも入所者の皆さんは、障害基礎年金等受け取っている年金の額に応じて費用徴収制度により毎月決められた額をそれぞれの措置機関である市町村に払っておられましたが、支援費制度になりますと、利用される方と事業者である愛命園との契約ですから、利用者負担金は直接愛命園に払っていただくことになります。
 その場合、お一人お一人に請求し、徴収してまわるのは大変なことですから、年金が入る郵便局の口座から、毎月20日に前月分を自動引落しにさせていただくことを、3月2日のご家族の方への支援費制度説明会でご説明し、ご理解を得ましたので、契約の際の重要事項説明書にも明記しました。
利用者負担金の額は、これまでとほとんど変わりません。控除される必要経費によって多少違いはありますが、障害基礎年金1級の方で、一ケ月30,800円〜34,100円、2級の年金の方で、一ケ月17,500円です。他の制度によるもっと額の大きい年金を受け取っておられる方では、限度額の53,000円という方もあります。それらの額は、各市町村から各々通知されてきます。
 こうして皆さんが毎月20日に引き落とされる利用者負担金は、この市町村が定める額の他に、重要事項説明書に定める所定の支援費外サービスの負担金と合わせて引き落とさせていただいています。
また、引落し済の額の明細は、定期的に個々の利用者の皆さんにご報告することになっています。
なお、この自動引落しに伴う郵貯センターへの手数料につきましては、納める皆さんではなく、愛命園の負担としております。



各係より
〜今年度から
新体制で
スタート〜

 今年度より、支援1〜3の係で、入所者支援体制をスタートさせました。4月からこれまでの間、各係の活動内容と、目標・課題などをあげていただきました。



第一支援係
作業指導員 長峯 公明

 「支援1係」は、利用者の作業活動支援を主な役割としています。現在、大きく分けて貝通し、結織、陶芸、ビーズのれん、木工、園芸の6つの作業種があり、生活班に籍を置いている人も含めて66人中50人の利用者が活動に加わっています。担当は常勤の作業指導員3名、パート職員4名の計7名が配置されています。組織替えから4カ月。この間の活動を振り返り、主な動きや問題点、課題などを幾つかあげてみました。



(1)作業活動支援マニュアルの作成
 作業の手順や個別支援における目標・留意点などをまとめた、言わば「作業活動支援マニュアル」の作成が急がれています。従来、「作業棟における指導について」と題して、毎年度当初に活動計画書を作ってきました。ただ、後述のとおり支援におけるパート職員の役割が増すにつれ、より個別支援の観点を重視した具体的・網羅的な「マニュアル」が求められています。

(2)精神障害者デイサービス事業の受託
 この4月から町の委託を受け、地域の障害者2名が加わりました。貝通し作業を中心として入浴や給食サービス、レクリエーション活動などを行っています。当初、心配していた入所利用者や職員との人間関係も深まり、「愛命園に行くのが楽しみ」とのことです。

(3)貝通し作業の品質管理
 7月初め委託業者から、納入した貝通しの製品についてクレームを受けました。貝通しは当園にとって、かけがえのない作業。品質管理徹底のため、さまざまな対応を迫られることになりました。利用者が通した後の製品チェック体制の見直し、更に荷積み・運搬時の破損等をなくすため、パレットの利用、フォークリフトによる荷積みなどの対策を講ずることとしました。

(4)作業活動の評価システム作り
 当園は更生施設とあって、作業活動で得られた収益を直接、現金で利用者に還元するシステムはとっていません。ただ、10年も20年も在園する利用者にとって、いつまでも「訓練」としての作業でいいのかどうか、という疑問があります。工賃支給もそのひとつの方法でしょうが、モラールアップのための評価システム作りを検討する必要を感じています。
Dその他、利用者の状況に応じた柔軟な日課編成、販路開拓など、大きな課題を抱えています。「日々の仕事に追われて」というのは結局、言い訳にしかならないでしょうが、なかなか形を作れないでいます。



第二支援係
生活支援員 宇田 辰彦

 二係では、これまでの生活班の活動を中心に行っています。担当は常勤の生活支援員2名、パート職員4名の計6名が配置されています。生活班では、「リズム体操」「歩行」「壁面構成」を大きな柱として、活動を行っています。
 目標は、「自分で選択し、行動すること」です。とはいえ、これまで長い間、施設に入り、生活してこられ方には、自己決定というのは簡単ではないことだと思います。そこで、選択するためには、まず、いろいろなことを経験することが大切なのではないかと、この活動を行っています。



 今年度は、物を作ることを、いろいろ体験してみたいと考えています。まず、「ランチョンマット」です。これは、和紙に自分で絵をつけ、それを麻布のマットに載せるというものです。和紙には、思い思いの絵を書きますが、筆だけではなく、指や足を使い、絵の具や和紙の感覚を直接感じたり、木片、スポンジ、スプレー、糸を使い、筆で描く感触だけではなく、さまざまな感触を体験していただいています。
 これは、昨年度からの「壁面構成」で行ってきた、貼り絵や色付けの応用として行っていきたいと考えています。もちろん、「壁面構成」は、今年度も行い、カレンダーを作ろうと考えています。
 「歩行」では、これまで屋内の手引き歩行を中心に行ってきましたが、今年度は、ホールから外に、ということで、レンガ通りの歩行を取り入れたいと考えています。



 課題としては、2係だけに限ったことではありませんが、利用者の重度化・高齢化により、生活班の利用者が増加し、本来、少人数でしか行えない活動が難しくなってきていることです。リズム体操や歩行も、できるだけマンツーマンで対応をしていきたいと考えていますが、現実には、20数名を少ない職員で援助することになってしまいます。今後は、ボランティアの活用など、さまざまな手段を検討しなければならないのではないかと思っています。



第三支援係
生活支援員 石川 晃

第一・第二支援では10名以上での活動が主になっています。集団を通しての個々の成長はことさら説明の必要もないと思いますが、当園での生活の核としての役割を担っています。
第三支援の方向としてはもっと小集団、あるいは個人を対象に考えて行きたいと思っています。即ち集団では対応の難しい個々のニーズ、例えば「もっと勉強したい」「外出したい」「墓参りやコンサートにも行きたい」など一人一人の色々な希望に出来るだけ耳を傾けて行きたいと思っています。現在点字学習を始め、神楽クラブ、マッサージ奉仕の他、新たにスポーツクラブ・お花・お茶も加わってクラブ活動的な部分での形は整いつつありますが、個々の希望や要求である外出、学習、必要に応じた個別対応、指導等の部分はこれからの課題として残っています。
第三支援のスタッフは生活支援員として石川・沖田の外、介護員にも協力してもらっています。歩き始めたばかりの第三支援ではありますが力強い歩みになるよう頑張って行きたいと思っています。



親善球技大会参加

生活支援員 宇田 辰彦

 5月18日に西部ブロック親善球技大会が、安佐南区の市立大学グランドで開催されました。それまで、ずっと雨続きで心配していましたが、当日は晴天に恵まれ、私もゲート通しの審判で、首をおもいきり日焼けしました。
 今回は、ゲート通しと円形ドッチボールに参加し、ゲート通しでは、個人戦で決勝まで進んだ方もいらっしゃいました。
 途中、あまりの暑さにダウンした方もいらっしゃいましたが、みんな楽しく過ごした一日でした。
 グランドでの球技大会、日差しも強く、陰を探して大変でした。来年以降は、陰を探さなくてもいいように、テントが必要だなあ、と感じると同時に、来年も、みんな元気に参加できるといいなあと感じた担当でした。



身体障害者
スポーツ大会に参加して
作業指導員 新田 嘉弘

今年は30回の記念大会が、大野東中学校グランドに於いて、晴天に恵まれ開催された。久々に引率として参加したが、いつもながら躍動感にあふれ、精一杯のプレーに大きな感動を覚えた。運動不足で立派になった下腹部を思わず引っ込めた次第で。
当園の利用者も湯来町の選手団として20名が参加した。練習の成果を十二分に発揮してと言いたいところではあるが、実際のところは内緒にしておきたい部分が多いのである。それでも大会当日は持てる力を発揮して、湯来町第2位に貢献したのである。後日、参加した利用者に感想を聞いても好感触で、一年でも長くエントリーして  欲しいと願うばかりである。



太田川学園との
交流発表会

支援員 沖田 幸久

 7月8日(火)に広島市安佐南区の知的障害者施設「大田川学園」の地域交流館で交流発表会が開かれました。当園の神楽クラブと学園の音楽クラブがお互いの上演を通して交流し、とても楽しい時間を過ごしました。上演後はメンバーで茶話会を実施、ジュースとお菓子で和やかな雰囲気の中で自己紹介をし、健闘をたたえあいました。神楽のメンバーの中に学園出身者が数人いて、思い出話で盛り上がりました。
 この交流会、そもそものきっかけは4月に学園の職員が神楽の練習を見学に来られたこと。学園でも太鼓やハンドベルを練習しているのでお互いに交流会を持とういう計画が持ち上がり、今回の交流発表会の実現に至りました。このような施設間の文化交流は意外に少なく、福祉祭り等でたまたま共演することはあっても個別に交流することは今までありませんでした。お互いに刺激しあって練習に励むことはとても大切なこと。今回神楽が訪問したので、次回は学園側が愛命園を訪問しようと話しがまとまっています。これを機に他施設の文化サークルといっそうの交流が図れること願っています。

人の動き
(死去)
 去る7月24日、病気のため森原千恵さんが亡くなられました。享年59歳。昭和53年に入所、26年間も一緒に生活してきただけに寂しさもひとしおです。ご冥福をお祈りいたします。

【寄せられた善意】
[平成15年4且26日〜平成15年7月25日]
(順不同・敬称略)
【現 金】
沖野 ヨリ子  村上 芳正
(開園記念日)
永尾 博雄   伊藤 守夫
前川 昭夫   竹原 幹
堅田 正登   佐々木浩二
太嶋 宏史   清水 光信
藤正 坂二   林  弘子
林 医院
開園記念行事参加家族5名
(香典返し)
政籐 信夫
※諸般の事情により、掲載を控えさせていただいた方もあります。

【現 物】
湯来弁当仕出しセンタ−  切り花
坂口クリーニング店    切り花
みどり荘      雑巾用タオル
湯来東小学校   花のプレゼント
※ いつもありがとうございます。
【朗読奉仕】
どんぐり会   湯来朗読奉仕会

【表 彰】
 6月3日、開園記念式において、永年勤続表彰が行われました。
☆ 勤続30年表彰
  林 弘子
☆ 勤続20年表彰
清水都美子
森本 文江
☆ 勤続10年表彰
荒木美恵子
佐々木浩二



≪夏祭りのご案内≫
8月9日(土)夕方6時過ぎよりグランドにて恒例の夏祭りが行われます。屋台や飲み物、楽しい出し物でお待ちしています。皆様どうかお越しください。
 ただし、雨天の場合は規模を縮小し、ホールにて内輪にて実施しますので、あしからずご了承ください。

【編集後記】
 ついに愛命園にもインターネット環境が整いました。LANも構築され、それぞれのPCがつながりました。
今年度から、施設会計も支援費請求事務も電子化され、今後は日誌類も電子化する予定です。あゆみの編集も、それぞれのPCからサーバーのフォルダに直接、原稿を入れていただけるようになり、とっても助かっています。
 と、いうことで、愛命園のメールアドレスが新しくなりました。
sakura@aimeien.jp
です。
で、今回はカラープリンタで…写真を入れてみました。「あゆみ」もカラー化したほうがいいのかなあ? (U)